6月7日(木)「上司が変わると忙しくなる・・・の風さん」
6月になって直属の上司が変わったので、言われる前に面談を申し込み、今朝、3回目の面談を終えた。話すことが多いし、かと言って、一気にやると半日では終わらない恐れがあったので、とりあえず3回に分けてやってもらうようお願いしたのだ。
お陰で、当方の状況をかなり把握し、さらに理解もしてくれたようだ。
しかし、直属の上司の上はもう(機能分社の)社長なので、そちらとも話し合いが進んでいて、超前向きな私は、自然と超多忙な方向へ突き進んでいきそうだ。
カロリーメイト(百円)の昼食後、打ち合わせがあり、それが終わらないうちに出張に出かけた。
本社近くの喫茶店で、一橋大学の先生と落ち合って、打ち合わせをし、それから帰宅した。
6月8日(金)「飲み会で飲んでいる余裕はない風さんの巻」
あらゆる仕事が滞っていて、どうしようもないので、ミッシェルで本社近くの居酒屋へ出かけた。
今夜は、(機能分社の)現社長の壮行会だったが、飲むわけにはいかなかった。帰ってからまだまだやることがあったからだ。
小雨がぱらつくあいにくの天気で、本社の駐車場から傘をさして歩いた。
比較的大人数の飲み会で、席は抽選だったが、あまり親しい人のいないゾーンに陣取ることになった。しばらく歓談しているうちに、私より絶対年上と思っていた二人が、実は同い年であることが判明し、何とも不思議な気分になった。
明日から国際会計や財務および内部統制の講義が始まる。事前に商業簿記3級をマスターして臨むはずだったが、間に合わなかった。
6月9日(土)「ビジネスゲーム・・・の風さん」
ビジネススクールの新しい科目は、そろそろとスタートした。
先生も探りを入れながらの講義らしい。大量の脱落者が生じないように気を遣っているのがよく分かる。しかし、クラスの中には会計士を目指す人たちも多く、彼らにとっては逆に張り合いがないかもしれない。
今日は後半からビジネスゲームになった。最初わたしは全く要領がつかめず、どう行動したらいいのかまるで分からなかった。
これは各グループが会社となって、売買取引を進めながら、営業利益率と従業員の平均年収の高さを競うのである。思うように行かないのは、営業マンを雇うのだが、たくさん雇うほど競争力は増すが、固定費が増えて利益率を圧迫する。売り上げを増やすため、たくさん仕入れ過ぎると、売れ残った場合に在庫となり、突然襲ってくる品質トラブル(すべて返品とか)で大損害をこうむる。営業資金は銀行から借りるのだが、資金不足になると、従業員に給料が支払えなくなったりする。
明日も続くのだが、今日、我がグループは一度倒産した(笑)。資金がショートしたのである。
帰りに別グループのリーダーと雑談しながら帰ったのだが、そのグループ(会社)は、営業成績が伸びていたので、冬のボーナスを53か月分出したそうだ。これで、従業員の平均年収でトップをとるのは不可能だと悟った。
夜、書斎で仕事をしていたら、バサッという音がして、天井からゴキブリが降ってきた!
6月10日(日)「ゴキの仮説・・・の風さん」
次女が早朝から出かけて行った。小中学時代の同級生の結婚披露宴に招かれたのだ。
昨今の晩婚傾向からすれば、21歳の花嫁は日本国から表彰されてもいい。あと、子供を3人以上生んで育てて欲しい。
ビジネススクールのビジネスゲームの後半戦も、我がグループは善戦した。会計士を目指す勇者がいるからだ。戦略を営業利益率トップに変更して、着々と成果を上げていった。何度か襲ってきたトラブルの危機は、くじ運の強さを発揮して回避することができた。
結果、6社の中で営業利益率第一位、従業員平均年収第二位をゲットした。しかし、総合順位では、従業員平均年収で断トツの成績を上げた例のグループに続いて第二位に甘んじた。
夕方、また新たなグループ編成があり、JALの建て直し策の提案を来週競うことになった。
準備時間が少ない中では、仮説を立てて効率よくロジックを構築するように、という指導があり、なるほどと思い、大いに勉強になったが、私の場合、準備時間が少ないどころの騒ぎではなく、ほとんどないに等しいのだからあまり役に立たない。
帰りに、バルサンを購入して帰宅した。昨夜のゴキは私の机のうしろに逃げて、今でもそこにひそんでいるに違いない。
帰宅したら、楠木誠一郎さんの新刊が届いていた。『浪漫探偵社事件ファイル』第二弾。立派な歴史物である。
書斎にバルサンを仕掛け、しばらく入れない間に、楠木さんの本を眺めながら、どうやって多作をこなしているのか、じっくり考えようとしたが、老いた頭脳には閃きはなかった。ビジネススクールの先生がおっしゃるように、こういった創作もあれこれ迷っているのではなく、仮説を立てて一気にそれを固めていくのだろうか。
バルサンが引いてだいぶたってから書斎に入ってみたが、苦しみながら部屋の中央に這い出てきて悶絶しているゴキ……の姿はなかった。仮説は証明されなかった。
6月11日(月)「墓参だけじゃない・・・の風さん」
今日は尊敬する長谷川伸先生の祥月命日である。
かねて約束していた通り、五大路子さんと墓参に出かける日だ。
もっとも二人だけではない。やっちゃんと和泉屋旅館のご主人も一緒である。
東京雨男は空模様が心配だったが、何とかうす曇りですみそうだ。
のぞみ車中でカロリーメイト(百円)の昼食を摂り、いざ目黒の高福院へ。
実は、1月に受講したビジネススクールのある科目の先生が、高福院の副住職だった。それで、今日はぜひご挨拶を、と楽しみにしていたのだが、あいにくお葬式が入ってしまい、直前で断念した。
しかし、運良く、お葬式の途中にちょっとだけ姿を見せてくれたので、ひと言だけ挨拶ができた。
4人でにぎやかに墓参をし、プレゼント交換までして、解散となった。
3人はコーヒーを飲んで一休みしてから、二本榎の長谷川邸へ向かうが、私はこれからS社の編集者と落ち合って打ち合わせである。
その前にコンビニでゲラの参考資料のコピーをとった。
どこか近くの喫茶店で打ち合わせを、ということで、3人が立ち去ったのとは違う方角にある喫茶店に編集者を誘った。
中に入ってビックリ! 五大さんご一行がコーヒーを飲んでいた(笑)。
編集者と緊迫した打ち合わせをした後(なにしろ来月出版のため、月末が校了なのだが、まだ出来ていない原稿があるのだ)、別れたわたしはそそくさとオキュルスへ向かった。
同じく来月の大阪での講演のための打ち合わせが予定されていたからだ。
間重富をテーマに話をするので、間重富にちなんだ資料や、『星空に魅せられた男』の原画も展示するのである。
オキュルスではガラスの造形作家が個展の準備をしていた。面白い形をしたガラスで、中心がくりぬかれたようになっているのは、ロストワックス法の応用だそうだ。言い当てることができたので、生産技術者としてはちょっと鼻が高かった。
速攻で帰宅して家で仕事、と思って最寄の駅を降りたら、なんと長女がミッシェルで迎えに来ていた。自宅までのわずかな距離だったが、命がけだった。寿命が1年は縮んだ気がする。
昨夜のバルサンでもうゴキはいないだろうと安心して、仕事に取り組んだ。
出版社に大量にアウトプットをメール添付して送った。
6月12日(火)「東京雨男の残した雨は長女に・・・の風さん」
今朝の3時から6時半まで仮眠して、再び企業人に戻った。
朝から全国的に雨である。この不幸な天気の日に、長女は友達とディズニーシーへ出かけた。先日プータローになった長女と違って友達は働いているので、この日しか行ける日がなかったのだ。
研修所に出社して、午前中は会議。今日もカロリーメイト(百円)の昼食で、午後は自分の仕事。8月に愛工大の学生たちの見学案内をするので、その手続きを進めた。
長い会議をこなしてからさっさと帰宅した。
長女は夜行バスで帰ってくるという。
6月13日(水)「メイドイントウキョウ・・・の風さん」
本社へ出張し、(機能分社の)次期社長と打ち合わせ。22日に一緒に東京へ出張するのだ。面会する予定の大学の先生の著書をお貸しした。
研修所へ移動して、防災リスク対応工事の打ち合わせ。
カロリーメイト(百円)の昼食後、自分の業務を粛々と。
愛工大の学生のための、8月の会社案内手続きが完了した。
私の席の近くに次期社長の席がある。hpの新品のデスクトップパソコンが載っているのだが、蓋を開けてビックリ。ハードディスクやメモリーカードの装てんがやり易いように工夫してある。
筐体の横に Made in Tokyo と印字されているのも好感がもてる。
書斎の執筆マシン、次はこれにしようかな。
6月14日(木)「マルチの風さんの巻」
今度の週末の講義で使われるIFRS(国際財務報告基準)のテキストをカバンに入れて出張した。
毎年出かけているJPCA(日本電子回路工業会)ショーを見学に行ったのだが、なんと新幹線が遅れた。
東海道新幹線の線路に立ち木がかぶさってきたのだという。そんな場所あったっけ?
JPCAショーはビックリだった。昨年は震災直後ということで、明らかにキャンセルしたための空間が散見され、見学者も例年より少なかった。
今年はそれ以上に寂しい気がした。日本のモノづくりが海外へ続々と出て行っている現実がここにあるのだ。政治家はいったい何をしているのか!?
腹立たしい気分のまま会場を早めに後にして、第二の目的地へ向かった。
慶応大学大学院SDMで、日吉にある。
私は初めてそこを訪れたのだが、まるで外国映画に出てきそうなキャンパスだった。
そこで半分留学生のゼミにも同席させてもらい、たっぷり雰囲気を味わうことができた。
30年前に戻れたら(つまり若返ることができたら)、どんなに素晴らしい学生生活が送れるだろうか、と想像したが、知性も知識も経験もすべて30年前に戻ったら、ただのアホになるわけだから、そんな夢想は意味ないのだが。
しかし、そんなことより、ここには日本の大学院とは言いながら、明らかにダイバーシティがある。グローバルに触れる時間と空間があるのは間違いない。
新横浜から新幹線に乗って家路についた。
今日は往復でIFRSのテキストをざっと読んでしまった。完璧な構成の本になっているので、理解できたのである。
6月15日(金)「タイトロープ上の風さんの巻」
さすがに疲れて昨夜はダウンしてしまった。
今朝、未明に目覚めたが、どう考えても、出社前に頑張ったからと言って、仕事がはかどるとは思えなかった。
最後の手段、緊急有休にした。
今年になってどれだけ有休をとったかしれない。不良社員である。
とにかく午前中に、新刊に付録としてつける和算問題を選択してしまおうと必死に作業したが、できなかった。
やはり有休にしてよかった、と思いつつ、昼過ぎも作業を継続したが、とうとう完了しないまま夕方になってしまった。
(今日は新鷹会で長谷川伸先生の五十回忌法要が営まれて、もう終わっているころだ)
明日のビジネススクールのために、私個人に課せられた宿題があった。それをやらないとグループ全体が迷惑をする。
そこからは宿題の作業に取り掛かったが、編集者には何も言わなかった。
おそらく私が有休をとって頑張っていることは察知しているだろう。そして、このまま作業が継続することも期待しているに違いない。裏切り行為だが、ビジネススクールの仲間も裏切るわけにはいかない。
とりあえずの形だけ作って、仲間へ送った。あとは上手に料理してくれ〜。
深夜になって、最終日の準備、内部統制のテキストを読み始めた。
6月16日(土)「罵倒された風さんの巻」
3時間半くらいの睡眠でビジネススクールにたどり着いた。
グループワークの中へ顔を出したとたん、リーダーから罵倒された。私の提出した宿題はまったく役に立たなかったという。私の半分ほどの年齢のリーダーに罵倒されたが、文句は言えない。私が悪いからだ。グループワークの間中も私は小さく縮んでいた。
何とかグループ発表も終わった。私は貢献ゼロになりかねなかったが、リーダーが私の役柄をちゃんと作ってくれて、質疑にも発言することができた。
今日はカロリーメイトの昼食をやめて、リーダーらと外へ出、彼らにうどんをおごった。
午後から、またグループワークで、ビジネスゲームとなった。今度は、財務報告を分析して、粉飾決算をあばく競争である。その会社の社長は先生がなる。
準備をして、本番は明日である。
6月17日(日)「世のため、人のため・・・の風さん」
昨夜徹夜して用意したレポートを提出した。
このレポートで、今回の講義の成績の半分が決まる。重要なレポートである。
しかし私は、数学の問題の選抜の続きをやりながらだったので、レポートは中途半端になってしまった。
一つの課題は「分析して問題の原因を答えよ」というものだったが、分析してみるととても分析できる内容のデータになっていないと思ったため「分析する価値なし」と放り投げてしまった。
またある課題は「問題の対策を考えよ」というものだったが、和算の問題を選んでから、あとでやろうと思っているうちに忘れてしまった。つまり未解答である。
そんなアホなレポートを出してしまったのだ。
やばい。
粉飾決算解明ゲームは、楽しかったが、第一位にはなれなかった。
私のような出来の悪い学生でも、グループが好成績を上げれば、その分け前が少しもらえるのだ。
続いてIFRS(国際財務報告基準)の講義となった。投資家のための世界統一基準だが、企業経営はこれだけでできるわけではない。経営管理とは別物だと先生が強く主張しておられた。
それと、IFRSの発音だが、ネイティブは「アイエファレス」と発音するのだそうだ。真似しよう。
今回の打ち上げは8人くらいだった。これだけ少人数だと全員で話ができる。
私より一回り下の先生は、「世のため、人のため、MBAを役に立てなさい」とおっしゃった。
6月18日(月)「ミッシェルは満タン給油してもオーナーは・・・の風さん」
昨夜は酒を飲んで帰宅したが、帰りの電車で眠っている間にだいぶ復活したし、自宅でも少し仮眠して、今朝は2時半からずっと執筆を続け、そのまま製作所へ出社することになった。しかし、さすがに眠くなって運転の危険を感じたので、途中でコンビニの駐車場にミッシェルを停め、15分間の仮眠をとってからまた走り出した。
会議後、本社に寄って22日の出張の切符を受け取り、さらに1箇所寄り道してから、研修所へ行った。私の寝不足はすぐに同僚にばれ「これ以上無理すると死にますよ」と忠告されたが、やめるわけにはいかない。だって、原稿が完成していないのだから。
昼食はカロリーメイト(百円)のみ。
帰りにミッシェルには満タン給油した。この両者の激しい差。
6月19日(火)「幸運は忘れたころに・・・の風さん」
今朝は1時半からずっと和算問題に取り組み続け、そのまま研修所へ出社した。
午前中は二つの会議に出席し、どちらでも発表した。
昼はカロリーメイト(百円)のみで、昼休みはロビーのソファで仮眠した。
台風4号が接近していて、外は暴風雨になってきた。
22日の出張のときに持っていくお土産(クッキー)が届いたが、持ち帰れる状況ではない。
社内コンプライアンステストというのがネットであって、眠気覚ましにやってみたら、なんとか85点とれたので合格した。セクハラ問題が一番簡単だった。ミスターセクハラを自認する人なので、セクハラについてはかなり詳しいのだ。わっはっは。
帰宅したら、驚くべきことに「大衆文芸」が届いていた。おそらく1年ぶりの発刊である。昨年の長谷川伸の会の報告が掲載されていて、私が苦労して書いた「長谷川伸賞選考経過」が無駄にならなかった。助かった。幸運だ。
6月20日(水)「いつまで続くか徹夜状態・・・の風さん」
未明に1時間だけ仮眠して本社へ出張した。
今週は連日徹夜状態である。
本社は株主総会があるため、私は従業員駐車場から追い出された。北グラウンドへ行け、という。
北グラウンドと聞いて懐かしくなった。現会長(前の社長)が課長だったとき、私はその課長とバッテリを組み、ソフトボール大会を戦った。サウスポーの課長が私が指定するミットに正確にボールを投げてくれたので、試合には勝った。その思い出の地が北グラウンドである。
しかし、北グラウンドにその郷愁を誘うような痕跡は何もなかった。
私はかなりの距離を歩いて、打ち合わせ場所にたどり着いた。
「これ以上無理すると死にますよ」と忠告してくれた同僚が、「相当に疲れていますね。会議中、寝ていてください」と優しいことを言ってくれた。
昼食は研修所でカロリーメイト(百円)。この間から数えて22個目になる。すっげぇー。
午後、長々と打ち合わせをして、さっさと退社。
夕食後、深い海の底に沈むように寝てしまった。ただし、リビングのソファの上で(笑)。
6月21日(木)「土壇場か・・・の風さん」
外がだいぶ明るくなった頃、ソファで目覚めた。
しかし、外は雨だった。
慌てて飛び起きて、書斎へ直行した。
出社時間ギリギリまで頑張り、強い雨の中、有料道路を*@0km/Hで突っ走って、製作所へ向かった。
製作所で新社長の話を聞き、昼前に打ち合わせを一つこなした。
今日の昼食は製作所で、塩ラーメンと野菜サラダにした。
研修所へ移動して、一橋大学から届いたドラフト原稿をチェックし、印刷した。明日、伊藤先生へ渡そう。昔の仲間には別途チェック依頼をした。
帰宅すると、再校ゲラは届いていなかった。
まだ校閲部から再校ゲラが届いていないのだという。
それより、付録問題を4〜5問に減らさなければならないと連絡があった。
ページ数の制約もある。
さらに時間がないので、明朝までにしっかりした解答付きで提出してほしいとのことだった。
いよいよ本当に土壇場、地獄の一丁目だ(違うか)。
しかし、自分のことより日本のモノづくりが心配だ。
日産自動車が国内生産を減らして海外移転すると言っている。
政治家は何をしているんだ!
6月22日(金)「徹夜明け・・・の風さん」
結局徹夜になってしまった。昨日を除いて、ここ1週間ほとんど毎日徹夜だった(昼寝てるってこと?)。
付録問題は、結局、6問について原案を再提出し、その中から4問を自薦とした。
少し雨がぱらつく中、ワイフに最寄の駅まで送ってもらった。
7時12分発の特急に乗車した。空いていた最後の1席に陣取り、名古屋まで仮眠した。
のぞみでは社長と同じ号車だったので、他の乗客に席を譲ってもらい、東京までずっと話し込んだ。
号車が違っていたら、たっぷり睡眠がとれたのにぃ〜(笑)。
しかし、このコミュニケーション時間は貴重だった。
東京駅からタクシーで某所へ向かい、昼食後、またタクシーで六本木ヒルズへ。
トヨタも日産も現代自動車に抜かれてしまうのではないか、そんな話もあった。
過激な議論のスケジュールをこなした後、タクシーで品川駅へ向かい、そこで社長と別れた。
社長はまた会社へ戻らなければならなかった。
私は、知人が出展している東京ビッグサイトへ足を伸ばした。
先週のJPCAショーとはうってかわって、設計製造ソリューション展などを始めとする展示会は盛況だった。電子機器だけがどんどん海外移転しているのだろうか。
6時に東京駅で編集者と合流して、今朝送った付録問題について打ち合わせた。
私は8時ののぞみで家路についたが、編集者はこれから私の作成した付録問題を編集して入稿するのだという。申し訳ない気持ちでいっぱいだが、もはや私は無力だった。
午後11時前に帰宅したが、我が家は真っ暗闇だった。
またまた楠木さんの新刊が届いていた。
青い鳥文庫で『織田信長は名探偵!!』。シリーズ何作目だろう? 織田信長については、大人向けの作品をいくつか読んでいるので、この青い鳥文庫と比較してみよう(と前向きの姿勢は示すものの、月日は流れていくぅ)。
先日は、金田康明先生の新刊(スーパーコンピュータの話。後日、トップページに出す予定)も届いていて、そのお礼すら伝えていなかったが、……礼状を書いている余裕もない。困った。
……その後、ワイフからメールがあって、最寄の駅まで迎えに行き、その後、今度は次女からメールがあって、また最寄の駅まで迎えに行った。
ぼやぼやしているうちに次女が入浴してしまい、1時間の待ち時間に突入してしまった。
6月23日(土)「文章サークルは助っ人のお陰でなんとか・・・の風さん」
ついにトヨタ自動車も国内生産を海外へシフトすると言い出した。
ユーロ安を利用して、とのこと。
日産に続いてのことで、国内でまた失業者が増える。
にもかかわらず、政治の世界では相変わらず狭い了見での闘争に明け暮れている。
明日の近江神宮取材の準備のため、買い物やミッシェルの給油に出かけた。
帰宅してすぐ今日の久々の文章サークルの準備に取り掛かったが、3月の大阪遠足の写真印刷をするので精一杯だった。
今日は児童文学作家の山本悦子さんに来てもらうのだが、私は4時半スタートだと勘違いしていて、4時ですよ、と電話があって、慌てふためいて家を出た。しかも、懇親会のための車(飲んだ人のための足)は私がやると宣言したというから、こりゃ大変だ。
勉強会は、山本悦子さんの指導で有意義に進行し、懇親会はほとんど女子会になってしまい、世間知らずの私は終始蚊帳の外だった。
とりあえず料理は堪能できたので、みんなで山本悦子さんを自宅まで送った(いや、私が運転する車で)。
今日の私は単なるアッシー君だったのかもしれない。ま、いっかー(^_^;)。
6月24日(日)「3度目の近江神宮取材・・・の風さん」
午前10時に、ミッシェルで近江神宮へ向かった。
再度垂揺球儀を取材するためだ。
空はあまり明るくないが、雨は降りそうもない。現地で総勢10名になるので、ホッとする。
ナビにない新名神(高速道路)を走って、途中で休憩を2回もとりながら向かったのだが、近江神宮近くまで行ったら、もうすっかり道路を思い出した。ナビなんか不要だ。
ということで、ほぼ1時間前に着いた。
本殿を参拝してから時計館へ行くと、東條先生が出てこられたので、早速挨拶した。
集合時刻の30分前から私だけを案内してくださり、贅沢な時間を過ごした。
見学会は盛り上がって、垂揺球儀を含む二つの和時計を動かしてくれ、さらに屋外の日時計と火時計まで解説してくださり、勉強になった。
やっとお開きにしたときは、実に2時間以上経過していた。
貴重な貴重な見学会だった。
ミッシェルで元来たルートを通って帰ったが、途中でお土産を買ったり、渋滞にはまったりで、帰宅は7時過ぎになった。
また我が家は真っ暗だった。しかも鍵がかかっていて、私は締め出された……と思ったが、まぬけにもサンルームの鍵がかかっておらず、そこから自宅に侵入した(笑)。
スパゲティの夕食を摂った後は、もう何もする気になれず、大野先生の奥様からもらったお菓子を食べて、リビングの床でぶっ倒れた。
6月25日(月)「ただの酔っ払い・・・の風さん」
午前3時ころ、リビングのフローリングの上で目が覚めた。いやーな金属音がしたからだ。いつのまにか雨になっていて、寝室から降りてきたワイフが、開け放したままだったサンルームの天窓を閉めにきたのだ。お互いに活動時間がフツーでない。
そのまま起きることにして、少し仕事をしたが、たまっている雑用はわずかしか減らない。
久しぶりに旧職場に出社した。ここのところ超多忙だったので、2週間ぶりだろう。定時後に、P社から5年間出向して我々の研究開発に協力してくれていた人の送別会があるので、ミッシェルでなく電車と会社バスを利用した。
午前中は二つの会議があり、午後は自分の仕事をした。
定時になって、同僚と一緒に会社バスで本社へ向かった。今夜の飲み会は本社に近いのだ。
近くで某部署の偉い人たちが秘書も同席させて飲み会をやっているという情報があり、もうすぐ会社がつぶれるかもしれないのにのんきな人たちだ、と思った。
やけにビールがうまく、飲み過ぎた。当然、深く酩酊した。
以前、電車内で爆睡してしまい、一宮まで行ってしまった悪夢がよみがえった。
途中2度の乗り換えを、からくも目覚めて電車から飛び降りることで達成したが、最後に降りるべき最寄の駅を眠ったまま通り過ぎてしまった。最寄の駅には、迎えに来たワイフの怒りの顔が置き去りにされた。
6月26日(火)「下取り価格にガッカリ・・・の風さん」
ワイフの車で研修所に出社した。
昼休みに外出し、まず郵便局に寄った。通帳から送金しようとしたのだが、なぜか通帳を受け付けてくれない。窓口で尋ねると、「パスワードを3回間違えたので、ロックされています」という。最後の送金はちゃんとできていたので、変だが、そういうことらしい。ロックをキャンセルしてもらって再トライすると、できた。
次に、某所へ行き、ワイフの車を査定してもらった。いよいよ来月ワイフの新車が入ってくるのだ。
しかし、7年落ちのため、ガッカリするような金額だった。車検を受けて日も浅いので、下取りに出さず、福島の母の家に置いておこうかな、と思った。行けば必ずレンタカーを借りているのだから。
そんな用事がすべて昼休み時間内に終わっただけでなく、カロリーメイト(百円)の昼食もバッチリ摂ることができた。
午後は先週の出張報告に取り組んだが、途中で飽きた。
定時後になった。今夜は戸締り当番である。
ビジネススクールで使うテキストでも読もうかと思っていたら、同僚が内容を3分で説明してくれた。
私がまた徹夜にならないように助けてくれたのだ。
9時前に帰宅したら、ワイフが「こんなに早いと思ってなかった」と言いながら夕食の支度を始めた。
就寝前にまだ終わっていない簿記の勉強をした。
6月27日(水)「最後のミッションか・・・の風さん」
午前中はルーチン業務をこなし、午後は先週一緒に東京出張した社長が研修所に来て情報交換の会議があった。
ここ数年、作家でなくても社外での活動(特に大学や学会との関わり)が増え、どうしても外から勤務先を見てしまうようになった。そうでなくても老人特有の愚痴っぽさも増えて、勤務先に対する不満が多くなってきた。
確かに愚痴が多いし、話もくどいみたいだが、それでもそれなりの意見を言うこともあるらしく、周囲から感心されることもある。
多くはプライベートから発したことなので、堂々と仕事にすることはこれまで憚られたが、新しい上司から、社外で得た情報を積極的にフィードバックしてほしいと言われた。また、新しいトップ(機能分社の社長)からも、その情報を(洒落じゃないが)新鮮な風として社内に吹かせてほしいとも言われた。
そのようなわけで、どうやら定年まであと1年と少しになった私の、最後の重要業務が決まったような感じがする。社外情報の戦略的なフィードバックである。
今日は定時後に、応接室で同僚と人工知能技術で少し遊んでから帰宅した。
6月28日(木)「芸道と生産技術者道・・・の風さん」
昼前に某団体の偉い方から電話があり、私の定年後の仕事について打診があった。
一緒にやる気はないかという内容である。これまでの30年以上の生産技術者としてのキャリアが生かせて、しかも難しいことだがこれからの日本のためになることなので、私自身も以前から考えていたことである。
とはいえ人生にかかわることなので、これから先どんなことが起こるか分からないが、同意しつつこれから相談に乗って欲しいと返事した。
超多忙な風さんに、また新たな楽しみが増えそうだ。
自宅へ向かう途中で、ミッシェルの走行距離が18万キロになったので、脇道に入ってしっかりスピードメーターを写真におさめた。
今日は、神田紅さんの芸道35周年の記念公演がある日だが、行けないので、ささやかなフラワーアレンジメントを手配した。
そうか。私も来年定年になると、生産技術者道33年半になるのか。
6月29日(金)「老骨の醜態・・・の風さん」
昨夜、新潮社クラブに投宿し、再校ゲラの修正に着手した。
午前零時まで仕事をしたところで疲れたため、横になったらそのまま5時まで寝てしまった。やっぱり疲れているのだ。
そこからまた修正作業を続けたのだが、ゲラの後ろへ行くほど問題点が多くなり、効率は落ちた。
午前8時から素晴らしい(和)朝食をいただいて、また頑張ったが、編集者がやってくる午前11時ギリギリまでかかってしまった。
まだ少し懸念点が残ったが、それは帰宅してから確認して連絡してくれればよい、ということで、12時半ころ、無罪放免となった。
支度をしてクラブを出た。
梅雨の真っ只中だが、幸い雨の心配は少ない。
昼食は摂らずに午後2時にくもん出版の編集者と会って、次の児童文学の相談をした。
その作品は急ぐわけではないが、明日、東大駒場キャンパスで理科読シンポジウムがあると聞いて、行かねばならないと思った。岩波書店の編集が来ているはずなので、久しぶりの打ち合わせをしなければならない。
今夜は、毎年恒例の長谷川伸の会が四谷の弘済会館である。私はまた授賞式の司会に復帰する。今年の長谷川伸賞は宗教学者の山折哲雄先生である。
時間調整しようと弘済会館近くのコーヒーショップに寄ったら、今年の池内賞受賞者の武重謙くんがいた。彼は早々と会場近くへ来て、気持ちを落ち着かせていたらしい。私がそばに座って話しかけたので、ちょっと邪魔した形になったが、普段の会社勤めの話などを聞いていたら、まるで名古屋のビジネススクールで一緒に学んでいる若者と同じように志が高く、来年から1年間ぐらい海外へ武者修行に行ってみたいとも言っていた。実にすばらしい若者である。しかも29歳の若さだというから、心から応援したくなった。
弘済会館へは4時半ころに入り、いつものように裏方としてあちこち気を遣って回った。今年は長谷川伸先生の50回忌ということで、かつて長谷川伸賞を受賞された歌舞伎大道具の第17代長谷川勘兵衛さんが、足に不安のある中わざわざ来られ、長谷川先生の遺影に手を合わせて早々に帰られたのだが、そのサポートをしたりした。勘兵衛さんは88歳になられるが、こういった行為は長く伝えていかねばならないとつくづく思う。
授賞式は、昨年受賞者の五大路子さんから山折先生への飛び込み花束贈呈などもあって、例年通りのなごやかさで無事終了した。
第二部の懇親会に移って、私はようやく解放されたが、既に疲労困憊していた。
武重謙くん差し入れの、長野県佐久市にある武重本家酒造の大吟醸が抜群の美味さで感動した。
新鷹会の仲間と久しぶりに二次会に参加したが、やはり老骨はこういう場には不適格だった。昔、私も若かったころ、新鷹会の二次会で大先輩の醜態を悲しく眺めたものだが、まさか自分がそうなるとは思わなかった。
早々に撤退し、新潮社クラブに帰参した。
ラベンダーのバブを入れた湯船につかって開放感を味わったあと、ビールを飲んで寝た。
6月30日(土)「理科読シンポジウム・・・の風さん」
昨日と同じ午前8時から(洋)朝食と摂り、満足した状態で、再校ゲラに関する懸案事項の仕事をいくつかした。
それらをだいたい終えてから、新潮社クラブをチェックアウトしたが、今度またここに泊まれることがあるだろうかと、ちょっぴり不安になった。仕事がなければ、もう二度とこういう豊かな経験はできないのだ。とにかく今後も執筆がんばらねば。
何度も行き慣れた東大駒場キャンパスに着いて、ゆっくりランチを摂ったあと、理科読シンポジウムに参加した。
JAXAの教授の講演が実に楽しかった。元ボート部らしいごつい体の人だが、難しい仕事もしっかりこなしてこられたようで、優秀な方なのだ。
理科読の動きはまだ大きな変化は起きていなかったが、継続している限り、きっとそのうち世の中を変えていくだろう。
半年ぶりに岩波書店の編集者とも会い、近況を語り合ったあと、仕切り直して、徐々に仕事を再開しましょうということになった。
少し遅くなったが、電車を急いで乗り継いで、帰宅したのは午後9時だった。
門の足元にある門灯カバーにぴょん吉(カエル)がへばりついていた。
夕食はそれからである。
ペースが落ちているが、6月の最終日の今日、今年25冊目の本を読了した。
2012年7月はここ
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